2 乗して \(-1\) になる数 \(i\) を 虚数単位 と定義する(\(i^2 = -1\))。
実数 \(x\),\(y\) を用いて
\[ z = x + iy \]
と表される数 \(z\) を
複素数 という。
このとき \(x\) を複素数 \(z\) の 実部,\(y\) を 虚部 と呼ぶ。
また \(i\) を 虚数
という。
横軸に実部,縦軸に虚部をとった平面を 複素平面
という。
複素数 \(z = x + iy\)
は,複素平面上の点 \((x, y)\)
として表すことができる。
極座標表示を用いると,
\[ z = x + iy = r (\cos\theta + i\sin\theta) \]
と書ける。ここで \(r = |z|\) は原点からの距離,\(\theta\) は偏角である。
複素数と三角関数の間には,次のような密接な関係がある。
関数
\[ f(\theta) = \cos\theta + i\sin\theta \]
を考える。このとき
\[ \frac{df}{d\theta} = -\sin\theta + i\cos\theta = i(\cos\theta + i\sin\theta) = i f(\theta) \]
が成り立つ。したがって \(f(\theta)\) は微分方程式
\[ \frac{df}{d\theta} = i f(\theta) \tag{1} \]
を満たす。
(1)式の解は
\[ f(\theta) = Ce^{i\theta} \]
であり,\(\theta = 0\) のとき \(f(0) = \cos 0 + i\sin 0 = 1\) だから \(C = 1\) となる。
よって
\[ f(\theta) = e^{i\theta} \]
となる。元の定義 \(f(\theta) = \cos\theta + i\sin\theta\) と比べると,
\[ e^{i\theta} = \cos\theta + i\sin\theta \]
を得る。これを オイラーの公式 という。
以上より,複素平面上での複素数の表現は
\[ z = r e^{i\theta} \]
とも書ける。
実数の場合と同様に,複素関数 \(g(z)\) の \(z = z_0\) における微分を
\[ \left.\frac{dg}{dz}\right|_{z=z_0} = \lim_{z \to z_0} \frac{g(z) - g(z_0)}{z - z_0} = \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} \]
で定義する。
ここで \(\Delta z = \Delta x + i\Delta y\) とすると,複素平面上で どの方向から 極限をとっても 上式の値が同じになるとき,\(g(z)\) は \(z_0\) で 微分可能 であるという。
ある領域 \(C\) 内のすべての点で \(g(z)\) が微分可能なとき,\(g(z)\) は \(C\) で 正則(holomorphic)であるという。
複素関数を
\[ g(z) = u(x, y) + i v(x, y) \]
とおく。まず \(\Delta z = \Delta x\)(実軸方向)として極限をとると,
\[ \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} = \lim_{\Delta x \to 0} \left[ \frac{u(x_0 + \Delta x, y_0) - u(x_0, y_0)}{\Delta x} + i\,\frac{v(x_0 + \Delta x, y_0) - v(x_0, y_0)}{\Delta x} \right] \]
となるので,
\[ \frac{dg}{dz} = \frac{\partial u}{\partial x} + i\,\frac{\partial v}{\partial x} \tag{2} \]
を得る。
次に \(\Delta z = i\Delta y\)(虚軸方向)として極限をとると,
\[ \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} = \lim_{\Delta y \to 0} \left[ \frac{u(x_0, y_0 + \Delta y) - u(x_0, y_0)}{i\Delta y} + i\,\frac{v(x_0, y_0 + \Delta y) - v(x_0, y_0)}{i\Delta y} \right] \]
より,
\[ \frac{dg}{dz} = -i\,\frac{\partial u}{\partial y} + \frac{\partial v}{\partial y} \tag{3} \]
となる。
(2)式と(3)式は,同じ \(\dfrac{dg}{dz}\) を表しているので,
\[ \frac{\partial u}{\partial x} + i\,\frac{\partial v}{\partial x} = - i\,\frac{\partial u}{\partial y} + \frac{\partial v}{\partial y} \]
が成り立つ必要がある。実部と虚部を比較すると,
\[ \frac{\partial u}{\partial x} = \frac{\partial v}{\partial y}, \qquad \frac{\partial v}{\partial x} = -\frac{\partial u}{\partial y} \]
を得る。
これらの 2 つの式を コーシー・リーマンの関係式
という。
複素関数 \(g(z) = u(x,y) + i v(x,y)\)
が点 \(z_0\) の近くで正則であるための
必要十分条件が,このコーシー・リーマンの関係式が満たされることである。
複素関数の積分は,実数の場合と大きく異なり,経路に依存する。 正則関数については,閉曲線積分が 0 になるという重要な事実が成り立つが, 特異点(発散する点)をもつ関数では,その特異点の寄与が積分値を決める。
この節では,
をまとめて扱う。
複素関数 \(f(z)\) が単連結領域 \(D\) で正則ならば,
その中の任意の閉曲線 \(C\) に対して
\[ \oint_C f(z)\,dz = 0 \]
が成り立つ。
これは 正則関数の閉曲線積分は常に 0
であることを述べている。
関数 \(f(z)\) がある点 \(z=a\) で発散する(正則でない)とき, その点を 特異点(singular point) という。
たとえば,
などが典型的な特異点である。
通常のテイラー展開は,点 \(a\) で正則な関数について
\[ f(z)=\sum_{n=0}^{\infty} c_n (z-a)^n \]
と書くものであった。
一方,特異点を含む関数でも,点 \(a\) を中心とした円環領域
\[ r < |z-a| < R \]
で正則であるならば,次のような ローラン展開 をもつ:
\[ f(z) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} c_n (z-a)^n = \cdots + \frac{c_{-2}}{(z-a)^2} + \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + c_1 (z-a) + c_2 (z-a)^2 + \cdots \]
右側の
に分かれる。
ローラン展開の係数のうち,
\[ \frac{c_{-1}}{z-a} \]
の係数 \(c_{-1}\) を,点 \(z=a\) における 留数(residue) と定義する:
\[ \boxed{ \operatorname{Res}(f,a) = c_{-1} } \]
先に 5.2 節で述べた
\[ f(z) = \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + \cdots \]
という書き方は,このローラン展開を簡略化した表現に相当している。
ローラン展開を積分に使うとき,次の公式が重要である。
円 \(|z-a|=\varepsilon\) 上の積分は,
\[ \oint_{|z-a|=\varepsilon} (z-a)^n\,dz = \begin{cases} 2\pi i & (n=-1) \\ 0 & (n\ne -1) \end{cases} \]
となる。
実際,\(z = a + \varepsilon e^{i\theta}\) (\(0\le\theta\le2\pi\)) とおくと,
\[ dz = i\varepsilon e^{i\theta} d\theta,\quad (z-a)^n = \varepsilon^n e^{in\theta} \]
であり,
\[ \oint (z-a)^n dz = \int_0^{2\pi} \varepsilon^n e^{in\theta} \, i\varepsilon e^{i\theta} d\theta = i\varepsilon^{n+1} \int_0^{2\pi} e^{i(n+1)\theta} d\theta \]
となる。ここで
となるので,上の公式が得られる。
ポイント:
\((z-a)^{-1}\) の項だけが円周積分で \(2\pi i\) を生み,
それ以外の項はすべて 0 になる。
関数 \(f(z)\) が閉曲線 \(C\) の内部で有限個の孤立特異点 \(\{a_1,a_2,\ldots,a_n\}\) をもち, それ以外の点で正則とする。このとき
\[ \boxed{ \oint_C f(z)\,dz = 2\pi i \sum_{k=1}^{n} \operatorname{Res}(f, a_k) } \]
が成り立つ。
これを 留数定理 という。
ローラン展開と 5.2.4 の積分公式を用いて,留数定理を証明する。
閉曲線 \(C\) の内部に孤立特異点
\[ a_1,a_2,\dots,a_n \]
があるとする。
各特異点 \(a_k\) のまわりに,十分小さい円
\[ \gamma_k : |z-a_k|=\varepsilon_k \]
を取り,その円の内側をくり抜いた領域 \(D\) を考える。
このとき,
となる。領域 \(D\) の内部では,特異点は除かれているので,\(f(z)\) は どこでも正則 である。
\(f(z)\) は領域 \(D\) で正則なので,コーシーの積分定理より
\[ \oint_{\partial D} f(z)\,dz = 0 \]
が成り立つ。境界 \(\partial D\) は「外側の \(C\)」と「内側の \(\gamma_k\)」からなり,
\[ \oint_C f(z)\,dz - \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = 0 \]
となる。したがって,
\[ \oint_C f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz \tag{★} \]
を得る。
特異点 \(a_k\) の近傍では,\(f(z)\) はローラン展開をもつ:
\[ f(z) = \sum_{m=-\infty}^{\infty} c_m^{(k)} (z-a_k)^m \]
これを \(\gamma_k\) 上の積分に代入すると,
\[ \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = \oint_{\gamma_k} \left( \sum_m c_m^{(k)} (z-a_k)^m \right) dz = \sum_m c_m^{(k)} \oint_{\gamma_k} (z-a_k)^m dz \]
ここで 5.2.4 の公式より,
となるから,
\[ \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = 2\pi i\, c_{-1}^{(k)} = 2\pi i\, \operatorname{Res}(f,a_k) \]
となる。
これを (★) に代入すると,
\[ \oint_C f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} 2\pi i \,\operatorname{Res}(f,a_k) = 2\pi i \sum_{k=1}^{n} \operatorname{Res}(f,a_k) \]
となり,これがまさに 留数定理 である。
留数定理の証明は,次の 3 ステップに要約できる:
この結果として,
閉曲線積分の値は,内部にある特異点の 留数の和だけで決まる
ことが分かる。
留数定理を具体的な計算に用いるには,各特異点での留数を効率よく求める方法が必要である。
5.2.3 節で,留数はローラン展開における
\[ \frac{1}{z-a} \]
の係数であると定義した。すなわち,\(z=a\) の近くで
\[ f(z) = \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + c_1 (z-a) + \cdots \]
と書けるとき,
\[ \operatorname{Res}(f,a) = c_{-1} \]
であった。
ここで両辺に \((z-a)\) を掛けて \(z\to a\) とすると,
\[ (z-a)f(z) = c_{-1} + c_0 (z-a) + \cdots \;\longrightarrow\; c_{-1} \quad (z\to a) \]
となる。したがって,留数は
\[ \boxed{ \operatorname{Res}(f,a) = \lim_{z\to a} (z-a) f(z) } \]
と 極限として直接求められる。
この極限が有限値として存在する特異点 \(z=a\) を1 位の極(単純極) という。
すなわち,1 位の極とは,
「ローラン展開で \(1/(z-a)\) の項だけが発散し,
それ以外は有限に保たれるような最も基本的な特異点」
に対応している。
\[ f(z) = \frac{1}{(z-1)(z+2)} \]
この関数は \(z=1\)
で発散するので,\(z=1\)
は特異点である。
ここで極限の定義 (6.1) を用いると,
\[ \operatorname{Res}(f,1) = \lim_{z\to 1} (z-1)\frac{1}{(z-1)(z+2)} = \lim_{z\to 1} \frac{1}{z+2} = \frac{1}{3} \]
となる。
\[ f(z) = \frac{z}{z^2+1} \]
分母が 0 になるのは \(z=i,-i\)
であり,これらが特異点である。
まず \(z=i\) について計算すると,
\[ \operatorname{Res}(f,i) = \lim_{z\to i} (z-i)\frac{z}{z^2+1} \]
ここで \(z^2+1=(z-i)(z+i)\) と因数分解すれば,
\[ (z-i)\frac{z}{(z-i)(z+i)} = \frac{z}{z+i} \]
となるので,
\[ \operatorname{Res}(f,i) = \lim_{z\to i} \frac{z}{z+i} = \frac{i}{2i} = \frac{1}{2} \]
となる(同様にして \(z=-i\) の留数も求められる)。
留数定理を使うと,実数積分を簡単に計算できる 場合がある。 さらに,その構造は地球物理現象の時間発展とも直結している。
\[ \int_{-\infty}^{\infty} \frac{1}{x^2+1}\,dx \]
を計算する。
対応する複素関数は
\[ f(z)=\frac{1}{z^2+1} \]
であり,上半平面の特異点は \(z=i\)。
\[ \operatorname{Res}(f,i) = \frac{1}{2i} \]
よって留数定理より,
\[ \oint_C f(z)\,dz = 2\pi i \cdot \frac{1}{2i} = \pi \]
半円の無限遠成分が 0 になることを確認すれば,
\[ \int_{-\infty}^{\infty} \frac{1}{x^2+1}\,dx = \pi \]
を得る。
ここまでで,
の関係と,具体的な積分計算を見てきた。
要点をまとめると:
したがって,複雑に見える積分も,
「どこにどんな極があり,その留数はいくらか」
さえ分かれば,一気に評価できる ことになる。
次に,この構造が地球物理学の具体的な現象——地震後の余効変動——とどのように結びつくかを見る。
大地震の後,GNSS 観測では
が観測されることが多い。
この余効変動は,マントルや下部地殻の 粘弾性緩和
によって説明される。
この「指数関数的緩和」は,留数定理によって本質的に導かれる現象である。
GNSS で観測される余効変動は,典型的に
\[ u(t) = A \left( 1 - e^{-t/\tau} \right) \]
または
\[ u(t) = A e^{-t/\tau} \]
のような 指数関数型を示す。
ここで,
である。
地震後の余効変動を説明する最も単純な粘弾性モデルとして, Maxwell 体(ばねとダッシュポットが直列に並んだモデル)を考える。
1 次元の応力 \(\sigma(t)\),ひずみ \(\varepsilon(t)\) を用いると,
が成り立つ。ここで,
である。Maxwell 体は直列なので,全ひずみは
\[ \varepsilon(t) = \varepsilon_{\text{s}}(t) + \varepsilon_{\text{d}}(t) \]
である。
ばねとダッシュポットの関係式から \(\varepsilon_{\text{s}}, \varepsilon_{\text{d}}\) を消去すると,
\[ \dot{\varepsilon}(t) = \frac{1}{E}\,\dot{\sigma}(t) + \frac{1}{\eta}\,\sigma(t) \]
という Maxwell 体の構成式 が得られる。
地震後の応答のイメージとしては,
ような時間発展を考えることになる。
ここでは,議論を単純にするため,
1 次の線形微分方程式
\[ \tau \,\dot{u}(t) + u(t) = f(t) \]
を,粘弾性応答の基本モデルとみなすことにする。
である。Maxwell 構成式から導かれる応力緩和方程式も, 本質的にはこの形の 1 次 ODE になる。
この式の両辺にフーリエ変換をとると,
\[ \tau (i\omega)\,\tilde{u}(\omega) + \tilde{u}(\omega) = \tilde{f}(\omega) \]
すなわち,
\[ (1 + i\omega\tau)\,\tilde{u}(\omega) = \tilde{f}(\omega) \]
となる。したがって,周波数領域における 伝達関数
\[ H(\omega) = \frac{\tilde{u}(\omega)}{\tilde{f}(\omega)} \]
は
\[ \boxed{ H(\omega) = \frac{1}{1 + i\omega\tau} } \]
と書ける。
まとめると,
この \(H(\omega)\)
は,低周波数(ゆっくりした変化)にはよく応答し,高周波数(急激な変化)には応答しにくい「緩和フィルタ」
の役割を果たす。 次の節で見るように,この \(H(\omega)\) を逆変換する際に,
\(\omega = i/\tau\) の
極とその留数 が,時間領域の指数関数的余効変動 \(e^{-t/\tau}\) を生み出す。
前節 7.3.2 では,Maxwell 粘弾性モデルの構成式から, 周波数領域における応答関数(伝達関数)
\[ H(\omega)=\frac{1}{1+i\omega\tau} \]
が得られることを示した。
ここで重要なのは,この \(H(\omega)\) 自体は「周波数 \(\omega\) に対する応答の強さ」を表すものであり, GNSS で観測されるような 実際の時間変化 \(u(t)\) を得るためには, この周波数領域の表現を 時間領域に戻す(逆変換する)必要がある という点である。
そのために用いるのが,逆フーリエ変換(あるいは逆ラプラス変換)である。
時間応答 \(h(t)\) は,逆フーリエ変換(または逆ラプラス変換)
\[ h(t) = \frac{1}{2\pi} \int_{-\infty}^{\infty} \frac{e^{-i\omega t}}{1+i\omega\tau} \, d\omega \]
で与えられる。
この積分は,複素 \(\omega\) 平面に拡張して, 留数定理によって評価される積分である。
被積分関数
\[ f(\omega) = \frac{e^{-i\omega t}}{1+i\omega\tau} \]
は,
\[ \omega = \frac{i}{\tau} \]
に 単純極をもつ。
この極を囲む閉曲線で積分すると,留数定理より
\[ h(t) = e^{-t/\tau} \]
が得られる。
すなわち,
GNSS で見える「指数関数的余効変動」は,
周波数領域の極の留数によって数学的に決まっている。
実際の地球内部は単一の \(\tau\) をもたず,
\[ H(\omega) = \sum_{k} \frac{A_k}{1+i\omega\tau_k} \]
のように,複数の極(複数の緩和時間)をもつ。
このとき時間応答は,
\[ u(t) = \sum_k A_k e^{-t/\tau_k} \]
となり,
が,留数の和として直接表現される。
このときの対応関係は次のようになる:
| 複素解析 | 地球物理 |
|---|---|
| 極(ポール) | 緩和モード |
| 留数 | 各モードの寄与率 |
| 閉曲線積分 | 全余効変動 |
| 正則性 | 応答の安定性 |
複素解析は,線形弾性体中の き裂(クラック)
を扱う
破壊力学(fracture mechanics) にも直接登場する。
ここでは,平面ひずみ・平面応力状態にある均質等方弾性体を考え,
モード I(開口モード)のき裂先端近傍の応力場が,
複素関数の 特異点(極など)
とその「係数」として整理できることを見る。
無限板中の直線き裂を考え,外部から引張応力 \(\sigma_\infty\) がかかった
モード I き裂を想定する。
線形破壊力学によれば,き裂先端から距離 \(r\),角度 \(\theta\) の点における
応力成分は,先端近傍で
\[ \sigma_{ij}(r,\theta) \sim \frac{K_I}{\sqrt{2\pi r}}\, f_{ij}(\theta) \qquad (r\to 0) \]
のような 平方根特異性 をもつ(\(K_I\):モード I 応力拡大係数)。
ここでのポイントは,
き裂先端は「応力場の特異点」として振る舞う
ということである。
2 次元弾性問題では,Kolossov–Muskhelishvili
の複素ポテンシャル と呼ばれる
2 つの正則関数 \(\phi(z)\),\(\psi(z)\)
を用いると,応力成分をまとめて書くことができる。
詳細な導出は省略し,代表的な関係式だけを示す:
\[ \sigma_{xx} + \sigma_{yy} = 4 \,\Re\{\phi'(z)\}, \qquad \sigma_{yy} - \sigma_{xx} + 2i\sigma_{xy} = 2\left[ \bar{z}\,\phi''(z) + \psi'(z) \right]. \]
き裂のない領域では \(\phi,\psi\)
は正則だが,
き裂先端(あるいはき裂縁)に対応する点では,これらの関数が
極や分岐点などの特異点 をもつようにモデル化される。
き裂先端 \(z=a\)
付近の応力場を単純化した「おもちゃモデル」として,
複素ポテンシャル \(\phi(z)\)
の導関数が
\[ \phi'(z) = \frac{C}{z-a} + (\text{正則な項}) \]
のように 単純極 をもつ場合を考える。
このとき,\(\phi'(z)\) のローラン展開における
\[ \frac{C}{z-a} \]
の係数 \(C\) は,
\[ \operatorname{Res}\bigl(\phi',a\bigr) = C \]
という 留数 に一致する。
応力の式から分かるように,\(\phi'(z)\) の虚部や実部が
\(\sigma_{xx}+\sigma_{yy}\)
などの組合せに比例するので,
この極の強さ \(C\)
は,先端における応力特異性の強さ(ひいては \(K_I\))と
直接結びつく。
イメージとしては,
「き裂先端の特異性の強さ」
=「複素関数 \(\phi'(z)\) の特異項の係数(留数)」
という対応になっている。
実際の線形破壊力学では,モード I 応力拡大係数 \(K_I\) は,
き裂先端近傍の \(\sigma_{ij}\sim
K_I/\sqrt{r}\) の係数として定義される。
一方,複素ポテンシャルを適切な座標変換で書き直すと,
\(\phi'(z)\) の特異項が
\[ \phi'(z) \sim \frac{\tilde{K}}{\sqrt{z-a}} \]
のように 平方根特異性 をもつ形になる。
このとき,特異項の係数 \(\tilde{K}\)
が,物理的な \(K_I\) に比例する。
詳細な計算は省略するが,構造としては,
という対応になっている。
破壊力学では,き裂先端まわりのエネルギー流束を表す J 積分
\[ J = \int_\Gamma \bigl( W\,dy - T_i \frac{\partial u_i}{\partial x} ds \bigr) \]
が重要であり,線形弾性体では \(J\) が 経路独立 であることが知られている。
これは複素解析の言葉で言えば,
「ある適切な複素関数の閉曲線積分が,
き裂先端の特異点まわりの構造だけで決まる」
という 留数定理 と同じパターンに対応している。
実際には,複素ポテンシャルを用いると
\(J \propto K_I^2\)
の関係が得られ,
という性質をもつ。
以上をまとめると,複素解析と破壊力学の対応は次のようになる:
| 複素解析 | 破壊力学(線形弾性き裂問題) |
|---|---|
| 複素ポテンシャル \(\phi(z),\psi(z)\) | 応力場・ひずみ場のポテンシャル |
| 特異点(極・分岐点) | き裂先端 |
| 特異項の係数(留数など) | 応力拡大係数 \(K_I, K_{II}, K_{III}\) |
| 閉曲線積分(留数定理) | J 積分の経路独立性,エネルギー解放率 |
| 正則性 | き裂以外の領域での応力場の滑らかさ |
このように,
き裂先端の応力特異性やエネルギー解放率といった破壊力学の基本量は,
複素平面上の特異点とその係数(留数など)として自然に整理できる。
したがって,留数や特異点の考え方は,
単なる「積分計算のテクニック」を超えて,
き裂進展や材料破壊の理論
にも深く関わっていることが分かる。