1. 複素数

2 乗して \(-1\) になる数 \(i\)虚数単位 と定義する(\(i^2 = -1\))。

実数 \(x\)\(y\) を用いて

\[ z = x + iy \]

と表される数 \(z\)複素数 という。
このとき \(x\) を複素数 \(z\)実部\(y\)虚部 と呼ぶ。
また \(i\)虚数 という。


2. 複素平面

横軸に実部,縦軸に虚部をとった平面を 複素平面 という。
複素数 \(z = x + iy\) は,複素平面上の点 \((x, y)\) として表すことができる。

極座標表示を用いると,

\[ z = x + iy = r (\cos\theta + i\sin\theta) \]

と書ける。ここで \(r = |z|\) は原点からの距離,\(\theta\) は偏角である。


3. オイラーの公式

複素数と三角関数の間には,次のような密接な関係がある。
関数

\[ f(\theta) = \cos\theta + i\sin\theta \]

を考える。このとき

\[ \frac{df}{d\theta} = -\sin\theta + i\cos\theta = i(\cos\theta + i\sin\theta) = i f(\theta) \]

が成り立つ。したがって \(f(\theta)\) は微分方程式

\[ \frac{df}{d\theta} = i f(\theta) \tag{1} \]

を満たす。

(1)式の解は

\[ f(\theta) = Ce^{i\theta} \]

であり,\(\theta = 0\) のとき \(f(0) = \cos 0 + i\sin 0 = 1\) だから \(C = 1\) となる。
よって

\[ f(\theta) = e^{i\theta} \]

となる。元の定義 \(f(\theta) = \cos\theta + i\sin\theta\) と比べると,

\[ e^{i\theta} = \cos\theta + i\sin\theta \]

を得る。これを オイラーの公式 という。

以上より,複素平面上での複素数の表現は

\[ z = r e^{i\theta} \]

とも書ける。


4. 複素関数の微分とコーシー・リーマンの関係式

実数の場合と同様に,複素関数 \(g(z)\)\(z = z_0\) における微分を

\[ \left.\frac{dg}{dz}\right|_{z=z_0} = \lim_{z \to z_0} \frac{g(z) - g(z_0)}{z - z_0} = \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} \]

で定義する。

ここで \(\Delta z = \Delta x + i\Delta y\) とすると,複素平面上で どの方向から 極限をとっても 上式の値が同じになるとき,\(g(z)\)\(z_0\)微分可能 であるという。

ある領域 \(C\) 内のすべての点で \(g(z)\) が微分可能なとき,\(g(z)\)\(C\)正則(holomorphic)であるという。


4.1 実軸方向からの極限

複素関数を

\[ g(z) = u(x, y) + i v(x, y) \]

とおく。まず \(\Delta z = \Delta x\)(実軸方向)として極限をとると,

\[ \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} = \lim_{\Delta x \to 0} \left[ \frac{u(x_0 + \Delta x, y_0) - u(x_0, y_0)}{\Delta x} + i\,\frac{v(x_0 + \Delta x, y_0) - v(x_0, y_0)}{\Delta x} \right] \]

となるので,

\[ \frac{dg}{dz} = \frac{\partial u}{\partial x} + i\,\frac{\partial v}{\partial x} \tag{2} \]

を得る。


4.2 虚軸方向からの極限

次に \(\Delta z = i\Delta y\)(虚軸方向)として極限をとると,

\[ \lim_{\Delta z \to 0} \frac{g(z_0 + \Delta z) - g(z_0)}{\Delta z} = \lim_{\Delta y \to 0} \left[ \frac{u(x_0, y_0 + \Delta y) - u(x_0, y_0)}{i\Delta y} + i\,\frac{v(x_0, y_0 + \Delta y) - v(x_0, y_0)}{i\Delta y} \right] \]

より,

\[ \frac{dg}{dz} = -i\,\frac{\partial u}{\partial y} + \frac{\partial v}{\partial y} \tag{3} \]

となる。


4.3 コーシー・リーマンの関係式

(2)式と(3)式は,同じ \(\dfrac{dg}{dz}\) を表しているので,

\[ \frac{\partial u}{\partial x} + i\,\frac{\partial v}{\partial x} = - i\,\frac{\partial u}{\partial y} + \frac{\partial v}{\partial y} \]

が成り立つ必要がある。実部と虚部を比較すると,

\[ \frac{\partial u}{\partial x} = \frac{\partial v}{\partial y}, \qquad \frac{\partial v}{\partial x} = -\frac{\partial u}{\partial y} \]

を得る。

これらの 2 つの式を コーシー・リーマンの関係式 という。
複素関数 \(g(z) = u(x,y) + i v(x,y)\) が点 \(z_0\) の近くで正則であるための 必要十分条件が,このコーシー・リーマンの関係式が満たされることである。


5. 留数定理

複素関数の積分は,実数の場合と大きく異なり,経路に依存する。 正則関数については,閉曲線積分が 0 になるという重要な事実が成り立つが, 特異点(発散する点)をもつ関数では,その特異点の寄与が積分値を決める。

この節では,

をまとめて扱う。


5.1 コーシーの積分定理

複素関数 \(f(z)\) が単連結領域 \(D\) で正則ならば,
その中の任意の閉曲線 \(C\) に対して

\[ \oint_C f(z)\,dz = 0 \]

が成り立つ。
これは 正則関数の閉曲線積分は常に 0 であることを述べている。


5.2 特異点とローラン展開

5.2.1 特異点の直感的な定義

関数 \(f(z)\) がある点 \(z=a\) で発散する(正則でない)とき, その点を 特異点(singular point) という。

たとえば,

  • \(f(z)=1/(z-a)\)\(z=a\)
  • \(f(z)=\tan z\)\(z=\frac{\pi}{2}+k\pi\)

などが典型的な特異点である。


5.2.2 ローラン展開の定理(概要)

通常のテイラー展開は,点 \(a\) で正則な関数について

\[ f(z)=\sum_{n=0}^{\infty} c_n (z-a)^n \]

と書くものであった。

一方,特異点を含む関数でも,点 \(a\) を中心とした円環領域

\[ r < |z-a| < R \]

で正則であるならば,次のような ローラン展開 をもつ:

\[ f(z) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} c_n (z-a)^n = \cdots + \frac{c_{-2}}{(z-a)^2} + \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + c_1 (z-a) + c_2 (z-a)^2 + \cdots \]

右側の

  • \(n\ge0\) の部分:ふつうのテイラー展開(正則部)
  • \(n<0\) の部分:特異性を表す項(主要部)

に分かれる。


5.2.3 留数の厳密な定義

ローラン展開の係数のうち,

\[ \frac{c_{-1}}{z-a} \]

の係数 \(c_{-1}\) を,点 \(z=a\) における 留数(residue) と定義する:

\[ \boxed{ \operatorname{Res}(f,a) = c_{-1} } \]

先に 5.2 節で述べた

\[ f(z) = \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + \cdots \]

という書き方は,このローラン展開を簡略化した表現に相当している。


5.2.4 基本積分公式

ローラン展開を積分に使うとき,次の公式が重要である。

\(|z-a|=\varepsilon\) 上の積分は,

\[ \oint_{|z-a|=\varepsilon} (z-a)^n\,dz = \begin{cases} 2\pi i & (n=-1) \\ 0 & (n\ne -1) \end{cases} \]

となる。

実際,\(z = a + \varepsilon e^{i\theta}\) (\(0\le\theta\le2\pi\)) とおくと,

\[ dz = i\varepsilon e^{i\theta} d\theta,\quad (z-a)^n = \varepsilon^n e^{in\theta} \]

であり,

\[ \oint (z-a)^n dz = \int_0^{2\pi} \varepsilon^n e^{in\theta} \, i\varepsilon e^{i\theta} d\theta = i\varepsilon^{n+1} \int_0^{2\pi} e^{i(n+1)\theta} d\theta \]

となる。ここで

  • \(n=-1\) のとき:指数が 0 なので \(\int_0^{2\pi} d\theta = 2\pi\)
  • \(n\ne -1\) のとき:\(\int_0^{2\pi} e^{i(n+1)\theta} d\theta = 0\)

となるので,上の公式が得られる。

ポイント:

\((z-a)^{-1}\) の項だけが円周積分で \(2\pi i\) を生み,
それ以外の項はすべて 0 になる。


5.3 留数定理の主張

関数 \(f(z)\) が閉曲線 \(C\) の内部で有限個の孤立特異点 \(\{a_1,a_2,\ldots,a_n\}\) をもち, それ以外の点で正則とする。このとき

\[ \boxed{ \oint_C f(z)\,dz = 2\pi i \sum_{k=1}^{n} \operatorname{Res}(f, a_k) } \]

が成り立つ。
これを 留数定理 という。


5.4 留数定理の証明

ローラン展開と 5.2.4 の積分公式を用いて,留数定理を証明する。


5.4.1 特異点のまわりに小円をあける

閉曲線 \(C\) の内部に孤立特異点

\[ a_1,a_2,\dots,a_n \]

があるとする。

各特異点 \(a_k\) のまわりに,十分小さい円

\[ \gamma_k : |z-a_k|=\varepsilon_k \]

を取り,その円の内側をくり抜いた領域 \(D\) を考える。

このとき,

  • 外側の境界:元の曲線 \(C\)(反時計回り)
  • 内側の境界:小円 \(\gamma_k\)(時計回り)

となる。領域 \(D\) の内部では,特異点は除かれているので,\(f(z)\)どこでも正則 である。


5.4.2 コーシーの積分定理による境界積分の分解

\(f(z)\) は領域 \(D\) で正則なので,コーシーの積分定理より

\[ \oint_{\partial D} f(z)\,dz = 0 \]

が成り立つ。境界 \(\partial D\) は「外側の \(C\)」と「内側の \(\gamma_k\)」からなり,

\[ \oint_C f(z)\,dz - \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = 0 \]

となる。したがって,

\[ \oint_C f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz \tag{★} \]

を得る。


5.4.3 各小円上でローラン展開を使う

特異点 \(a_k\) の近傍では,\(f(z)\) はローラン展開をもつ:

\[ f(z) = \sum_{m=-\infty}^{\infty} c_m^{(k)} (z-a_k)^m \]

これを \(\gamma_k\) 上の積分に代入すると,

\[ \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = \oint_{\gamma_k} \left( \sum_m c_m^{(k)} (z-a_k)^m \right) dz = \sum_m c_m^{(k)} \oint_{\gamma_k} (z-a_k)^m dz \]

ここで 5.2.4 の公式より,

  • \(m=-1\) の項だけが \(2\pi i\) を与える
  • それ以外はすべて 0

となるから,

\[ \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = 2\pi i\, c_{-1}^{(k)} = 2\pi i\, \operatorname{Res}(f,a_k) \]

となる。


5.4.4 すべての特異点について総和をとる

これを (★) に代入すると,

\[ \oint_C f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} \oint_{\gamma_k} f(z)\,dz = \sum_{k=1}^{n} 2\pi i \,\operatorname{Res}(f,a_k) = 2\pi i \sum_{k=1}^{n} \operatorname{Res}(f,a_k) \]

となり,これがまさに 留数定理 である。


5.4.5 証明のポイントの整理

留数定理の証明は,次の 3 ステップに要約できる:

  1. 特異点を小円でくり抜き,その外側の領域で正則にする
  2. コーシーの積分定理で「外側の積分=内側小円の積分の和」とする
  3. 各小円上の積分は,ローラン展開の \(1/(z-a_k)\) の項(留数)だけが \(2\pi i\) を生み,他は 0 になる

この結果として,

閉曲線積分の値は,内部にある特異点の 留数の和だけで決まる

ことが分かる。


6. 留数の計算方法

留数定理を具体的な計算に用いるには,各特異点での留数を効率よく求める方法が必要である。


6.1 単純極(1 位の極)の場合

5.2.3 節で,留数はローラン展開における

\[ \frac{1}{z-a} \]

の係数であると定義した。すなわち,\(z=a\) の近くで

\[ f(z) = \frac{c_{-1}}{z-a} + c_0 + c_1 (z-a) + \cdots \]

と書けるとき,

\[ \operatorname{Res}(f,a) = c_{-1} \]

であった。

ここで両辺に \((z-a)\) を掛けて \(z\to a\) とすると,

\[ (z-a)f(z) = c_{-1} + c_0 (z-a) + \cdots \;\longrightarrow\; c_{-1} \quad (z\to a) \]

となる。したがって,留数は

\[ \boxed{ \operatorname{Res}(f,a) = \lim_{z\to a} (z-a) f(z) } \]

極限として直接求められる

この極限が有限値として存在する特異点 \(z=a\)1 位の極(単純極) という。

すなわち,1 位の極とは,

「ローラン展開で \(1/(z-a)\) の項だけが発散し,
それ以外は有限に保たれるような最も基本的な特異点」

に対応している。


6.2 具体例

例1:

\[ f(z) = \frac{1}{(z-1)(z+2)} \]

この関数は \(z=1\) で発散するので,\(z=1\) は特異点である。
ここで極限の定義 (6.1) を用いると,

\[ \operatorname{Res}(f,1) = \lim_{z\to 1} (z-1)\frac{1}{(z-1)(z+2)} = \lim_{z\to 1} \frac{1}{z+2} = \frac{1}{3} \]

となる。


例2:

\[ f(z) = \frac{z}{z^2+1} \]

分母が 0 になるのは \(z=i,-i\) であり,これらが特異点である。
まず \(z=i\) について計算すると,

\[ \operatorname{Res}(f,i) = \lim_{z\to i} (z-i)\frac{z}{z^2+1} \]

ここで \(z^2+1=(z-i)(z+i)\) と因数分解すれば,

\[ (z-i)\frac{z}{(z-i)(z+i)} = \frac{z}{z+i} \]

となるので,

\[ \operatorname{Res}(f,i) = \lim_{z\to i} \frac{z}{z+i} = \frac{i}{2i} = \frac{1}{2} \]

となる(同様にして \(z=-i\) の留数も求められる)。


7. 留数定理の応用:実積分と地球物理

留数定理を使うと,実数積分を簡単に計算できる 場合がある。 さらに,その構造は地球物理現象の時間発展とも直結している。


7.1 基本的な実積分の例

\[ \int_{-\infty}^{\infty} \frac{1}{x^2+1}\,dx \]

を計算する。

対応する複素関数は

\[ f(z)=\frac{1}{z^2+1} \]

であり,上半平面の特異点は \(z=i\)

\[ \operatorname{Res}(f,i) = \frac{1}{2i} \]

よって留数定理より,

\[ \oint_C f(z)\,dz = 2\pi i \cdot \frac{1}{2i} = \pi \]

半円の無限遠成分が 0 になることを確認すれば,

\[ \int_{-\infty}^{\infty} \frac{1}{x^2+1}\,dx = \pi \]

を得る。


7.2 留数定理のまとめ(積分と特異点の対応)

ここまでで,

  • 特異点
  • ローラン展開
  • 留数
  • 留数定理

の関係と,具体的な積分計算を見てきた。

要点をまとめると:

  • 閉曲線積分の値は,内部にある特異点の 留数の和だけ で決まる
  • 留数はローラン展開の \(1/(z-a)\) の係数 \(c_{-1}\) である
  • 小さな円周積分では,\((z-a)^{-1}\) の項だけが \(2\pi i\) を与え,他は 0

したがって,複雑に見える積分も,

「どこにどんな極があり,その留数はいくらか」

さえ分かれば,一気に評価できる ことになる。

次に,この構造が地球物理学の具体的な現象——地震後の余効変動——とどのように結びつくかを見る。


7.3 地球物理への具体的応用 ― 地震後の余効変動と留数定理

大地震の後,GNSS 観測では

  • 急激な地震時変位
  • その後に続く 指数関数的な緩和変動(余効変動)

が観測されることが多い。
この余効変動は,マントルや下部地殻の 粘弾性緩和 によって説明される。

この「指数関数的緩和」は,留数定理によって本質的に導かれる現象である。


7.3.1 観測される余効変動の基本形

GNSS で観測される余効変動は,典型的に

\[ u(t) = A \left( 1 - e^{-t/\tau} \right) \]

または

\[ u(t) = A e^{-t/\tau} \]

のような 指数関数型を示す。

ここで,

  • \(A\):最終変位量
  • \(\tau\):緩和時間(粘性に対応)

である。


7.3.2 粘弾性体の応答関数(Maxwell モデルの構成式から)

地震後の余効変動を説明する最も単純な粘弾性モデルとして, Maxwell 体(ばねとダッシュポットが直列に並んだモデル)を考える。

1 次元の応力 \(\sigma(t)\),ひずみ \(\varepsilon(t)\) を用いると,

  • ばね(弾性)の関係式
    \[ \sigma = E \,\varepsilon_{\text{s}} \]
  • ダッシュポット(粘性)の関係式
    \[ \sigma = \eta \,\dot{\varepsilon}_{\text{d}} \]

が成り立つ。ここで,

  • \(E\):弾性率
  • \(\eta\):粘性係数
  • \(\varepsilon_{\text{s}}, \varepsilon_{\text{d}}\):ばね・ダッシュポットのひずみ

である。Maxwell 体は直列なので,全ひずみは

\[ \varepsilon(t) = \varepsilon_{\text{s}}(t) + \varepsilon_{\text{d}}(t) \]

である。

ばねとダッシュポットの関係式から \(\varepsilon_{\text{s}}, \varepsilon_{\text{d}}\) を消去すると,

\[ \dot{\varepsilon}(t) = \frac{1}{E}\,\dot{\sigma}(t) + \frac{1}{\eta}\,\sigma(t) \]

という Maxwell 体の構成式 が得られる。

地震後の応答のイメージとしては,

  • ある瞬間に応力が変化し(地震時),
  • その後,応力やひずみが指数関数的に緩和していく

ような時間発展を考えることになる。

ここでは,議論を単純にするため,
1 次の線形微分方程式

\[ \tau \,\dot{u}(t) + u(t) = f(t) \]

を,粘弾性応答の基本モデルとみなすことにする。

  • \(u(t)\):変位(またはひずみ)などの応答
  • \(f(t)\):外力や初期変位を表す「入力」
  • \(\tau = \eta/E\):Maxwell 体に対応する緩和時間

である。Maxwell 構成式から導かれる応力緩和方程式も, 本質的にはこの形の 1 次 ODE になる。

この式の両辺にフーリエ変換をとると,

\[ \tau (i\omega)\,\tilde{u}(\omega) + \tilde{u}(\omega) = \tilde{f}(\omega) \]

すなわち,

\[ (1 + i\omega\tau)\,\tilde{u}(\omega) = \tilde{f}(\omega) \]

となる。したがって,周波数領域における 伝達関数

\[ H(\omega) = \frac{\tilde{u}(\omega)}{\tilde{f}(\omega)} \]

\[ \boxed{ H(\omega) = \frac{1}{1 + i\omega\tau} } \]

と書ける。

まとめると,

  • Maxwell 粘弾性の構成式から 1 次 ODE が得られ,
  • フーリエ変換すると伝達関数
    \(\displaystyle H(\omega)=1/(1+i\omega\tau)\)
    が現れる。

この \(H(\omega)\) は,低周波数(ゆっくりした変化)にはよく応答し,高周波数(急激な変化)には応答しにくい「緩和フィルタ」 の役割を果たす。 次の節で見るように,この \(H(\omega)\) を逆変換する際に,
\(\omega = i/\tau\)極とその留数 が,時間領域の指数関数的余効変動 \(e^{-t/\tau}\) を生み出す。


7.3.3 時間領域への変換と留数定理

前節 7.3.2 では,Maxwell 粘弾性モデルの構成式から, 周波数領域における応答関数(伝達関数)

\[ H(\omega)=\frac{1}{1+i\omega\tau} \]

が得られることを示した。

ここで重要なのは,この \(H(\omega)\) 自体は「周波数 \(\omega\) に対する応答の強さ」を表すものであり, GNSS で観測されるような 実際の時間変化 \(u(t)\) を得るためには, この周波数領域の表現を 時間領域に戻す(逆変換する)必要がある という点である。

そのために用いるのが,逆フーリエ変換(あるいは逆ラプラス変換)である。

時間応答 \(h(t)\) は,逆フーリエ変換(または逆ラプラス変換)

\[ h(t) = \frac{1}{2\pi} \int_{-\infty}^{\infty} \frac{e^{-i\omega t}}{1+i\omega\tau} \, d\omega \]

で与えられる。

この積分は,複素 \(\omega\) 平面に拡張して, 留数定理によって評価される積分である。


7.3.4 極と留数による評価(結果だけ示す)

被積分関数

\[ f(\omega) = \frac{e^{-i\omega t}}{1+i\omega\tau} \]

は,

\[ \omega = \frac{i}{\tau} \]

単純極をもつ。
この極を囲む閉曲線で積分すると,留数定理より

\[ h(t) = e^{-t/\tau} \]

が得られる。

すなわち,

GNSS で見える「指数関数的余効変動」は,
周波数領域の極の留数によって数学的に決まっている。


7.3.5 複数の緩和成分とスペクトル分解

実際の地球内部は単一の \(\tau\) をもたず,

\[ H(\omega) = \sum_{k} \frac{A_k}{1+i\omega\tau_k} \]

のように,複数の極(複数の緩和時間)をもつ。

このとき時間応答は,

\[ u(t) = \sum_k A_k e^{-t/\tau_k} \]

となり,

  • 観測される余効変動の多指数関数性
  • 地殻・マントルのレオロジー構造

が,留数の和として直接表現される。


7.3.6 物理的意味の対応関係

このときの対応関係は次のようになる:

複素解析 地球物理
極(ポール) 緩和モード
留数 各モードの寄与率
閉曲線積分 全余効変動
正則性 応答の安定性

7.4 破壊力学への具体的応用 ― き裂先端特異性と留数

複素解析は,線形弾性体中の き裂(クラック) を扱う
破壊力学(fracture mechanics) にも直接登場する。

ここでは,平面ひずみ・平面応力状態にある均質等方弾性体を考え,
モード I(開口モード)のき裂先端近傍の応力場が,
複素関数の 特異点(極など) とその「係数」として整理できることを見る。


7.4.1 き裂先端の応力特異性

無限板中の直線き裂を考え,外部から引張応力 \(\sigma_\infty\) がかかった
モード I き裂を想定する。

線形破壊力学によれば,き裂先端から距離 \(r\),角度 \(\theta\) の点における
応力成分は,先端近傍で

\[ \sigma_{ij}(r,\theta) \sim \frac{K_I}{\sqrt{2\pi r}}\, f_{ij}(\theta) \qquad (r\to 0) \]

のような 平方根特異性 をもつ(\(K_I\):モード I 応力拡大係数)。

  • \(K_I\) が大きいほど,き裂先端の応力集中が強い
  • \(\sigma_{ij}\sim 1/\sqrt{r}\) という特異性が,き裂進展のしやすさを決める

ここでのポイントは,

き裂先端は「応力場の特異点」として振る舞う

ということである。


7.4.2 複素ポテンシャルと応力成分

2 次元弾性問題では,Kolossov–Muskhelishvili の複素ポテンシャル と呼ばれる
2 つの正則関数 \(\phi(z)\)\(\psi(z)\) を用いると,応力成分をまとめて書くことができる。

詳細な導出は省略し,代表的な関係式だけを示す:

\[ \sigma_{xx} + \sigma_{yy} = 4 \,\Re\{\phi'(z)\}, \qquad \sigma_{yy} - \sigma_{xx} + 2i\sigma_{xy} = 2\left[ \bar{z}\,\phi''(z) + \psi'(z) \right]. \]

  • \(z=x+iy\):物体内の点を表す複素数
  • \(\phi(z), \psi(z)\):ある領域で正則な複素関数(「弾性場のポテンシャル」に相当)

き裂のない領域では \(\phi,\psi\) は正則だが,
き裂先端(あるいはき裂縁)に対応する点では,これらの関数が
極や分岐点などの特異点 をもつようにモデル化される。


7.4.3 き裂先端に対応する特異点と「留数」

き裂先端 \(z=a\) 付近の応力場を単純化した「おもちゃモデル」として,
複素ポテンシャル \(\phi(z)\) の導関数が

\[ \phi'(z) = \frac{C}{z-a} + (\text{正則な項}) \]

のように 単純極 をもつ場合を考える。

このとき,\(\phi'(z)\) のローラン展開における

\[ \frac{C}{z-a} \]

の係数 \(C\) は,

\[ \operatorname{Res}\bigl(\phi',a\bigr) = C \]

という 留数 に一致する。

応力の式から分かるように,\(\phi'(z)\) の虚部や実部が
\(\sigma_{xx}+\sigma_{yy}\) などの組合せに比例するので,
この極の強さ \(C\) は,先端における応力特異性の強さ(ひいては \(K_I\))と
直接結びつく。

イメージとしては,

「き裂先端の特異性の強さ」
=「複素関数 \(\phi'(z)\) の特異項の係数(留数)」

という対応になっている。


7.4.4 応力拡大係数との対応(イメージ)

実際の線形破壊力学では,モード I 応力拡大係数 \(K_I\) は,
き裂先端近傍の \(\sigma_{ij}\sim K_I/\sqrt{r}\) の係数として定義される。

一方,複素ポテンシャルを適切な座標変換で書き直すと,
\(\phi'(z)\) の特異項が

\[ \phi'(z) \sim \frac{\tilde{K}}{\sqrt{z-a}} \]

のように 平方根特異性 をもつ形になる。
このとき,特異項の係数 \(\tilde{K}\) が,物理的な \(K_I\) に比例する。

詳細な計算は省略するが,構造としては,

  • 「どこに特異点があるか」:き裂先端の位置 \(z=a\)
  • 「どれくらい強い特異性か」:\(K_I\)(=特異項の係数)

という対応になっている。


7.4.5 J 積分と経路独立性

破壊力学では,き裂先端まわりのエネルギー流束を表す J 積分

\[ J = \int_\Gamma \bigl( W\,dy - T_i \frac{\partial u_i}{\partial x} ds \bigr) \]

が重要であり,線形弾性体では \(J\)経路独立 であることが知られている。

これは複素解析の言葉で言えば,

「ある適切な複素関数の閉曲線積分が,
き裂先端の特異点まわりの構造だけで決まる」

という 留数定理 と同じパターンに対応している。

実際には,複素ポテンシャルを用いると
\(J \propto K_I^2\) の関係が得られ,

  • 積分経路 \(\Gamma\) によらない(経路独立)
  • き裂先端の特異項(特に \(K_I\))だけが値を決める

という性質をもつ。


7.4.6 物理的意味の対応関係(破壊力学版)

以上をまとめると,複素解析と破壊力学の対応は次のようになる:

複素解析 破壊力学(線形弾性き裂問題)
複素ポテンシャル \(\phi(z),\psi(z)\) 応力場・ひずみ場のポテンシャル
特異点(極・分岐点) き裂先端
特異項の係数(留数など) 応力拡大係数 \(K_I, K_{II}, K_{III}\)
閉曲線積分(留数定理) J 積分の経路独立性,エネルギー解放率
正則性 き裂以外の領域での応力場の滑らかさ

このように,

き裂先端の応力特異性やエネルギー解放率といった破壊力学の基本量は,
複素平面上の特異点とその係数(留数など)として自然に整理できる。

したがって,留数や特異点の考え方は,
単なる「積分計算のテクニック」を超えて,
き裂進展や材料破壊の理論 にも深く関わっていることが分かる。