1 労働・貧困と社会学

以下では本書で取り上げた労働・貧困研究が、どのような研究の流れの中で生まれてきたのか、その文脈を私たちなりに素描する。言い換えれば、労働・貧困に関する社会学の全体を過不足なく概観するものではなく、私たちが重要と考える2000~2020???年の研究と関連する研究に焦点を絞って触れていく。逆に言えば、労働社会学の定番的な研究(例えば、松島静雄とか間宏とか)であっても触れない場合があるし、社会学者でなくても私たちが考える研究史を述べるうえで必要なら触れていく。そもそもどこからどこまでが労働・貧困の社会学か、といった問題は、恣意的な議論にしかならず、無意味である。ここで触れなかったとしても優れた研究はいくらでもあるので、その点には留意されたい。

1.1 「社会」問題の発見

労働・貧困は、後述のように社会学と深い関係があるのだが、社会学でのその扱いは「微妙」である。例えば、テキストなどで独立した章として扱われることは意外と少ない。長谷川 et al. (2019) は標準的なテキストの一つで、イントロを除けば13章からなるが、労働・貧困に近いのは「格差と階層化」の章ぐらいで、労働も貧困も独立した章のタイトルとはなっていない。また、友枝, 浜, and 山田 (2023) も好調に版を重ねているテキストで、75章もあるが、貧困も労働もまったく章のタイトルにはなっていない。前回の岩波講座社会学でも労働、貧困はもちろん、階級/階層も独立した巻としてはとりあげられておらず、社会学では意外と正面切って扱われることが少なかったことがわかる。国際社会学会の Research Comittee にも労働・貧困はない(sociology of work が比較的近いが、ニュアンスがだいぶ違う)。もちろん Giddens (2001) のように、目次に「貧困」、「労働」の語が出てくる教科書もあるが(訳書は 1000 ページ越えの大著だが)、私たちのイメージでは大学の授業でちゃんと習った記憶がない。もちろん、日本には労働社会学会という学会は存在するし、「産業社会学」という分野が存在し、それが労使関係や労働過程、労働組合などについて研究しているということは、大学院生の頃からうっすら認識しているのだが、あまり学会で中心的な問題として扱われてこなかった印象である。

こういった労働・貧困の扱いの微妙さは、その研究の学際性にあろう。労働・貧困はむしろ経済学、社会福祉学、社会政策学のような隣接分野で主に扱うテーマであり、社会学でも扱ってはいるのだが、教科書や概説ではどうしても扱いが軽くなりがち、という事情があると思われる。

それでは労働・貧困が社会学にとって重要ではないのかと言えば必ずしもそうとは言えない。例えば 厚東 (2020) によれば、社会学の起源は、19世紀西欧での「社会」問題の発見にある。当時、フランス革命の理想と現実のギャップが社会問題として同定され、そのような社会問題を扱う学問として社会学が要請されたのだという。理想と現実のギャップ=社会問題とは、圧制や自由の抑圧、犯罪、など様々だが、貧困と労働問題/階級闘争こそ、その最たるものであった。このように社会学を位置づけるならば、社会学とは貧困と労働の学だった、ということになる。

確かに、Durkheim (1893)Mead (1934)Parsons (1951) といった古典的社会学者は、明示的に労働や貧困をメインテーマにしているわけではない。しかし、彼らが社会統合に強い問題関心を抱いていたことはよく知られている (厚東 1980)。社会統合とは、彼らなりの労働・貧困問題への処方箋であった。都市にあふれる下層階級、貧困、退廃、騒乱… そういった19世紀に拡大したよくわからない人々にどう対処すべきなのか、といった問題に対する回答が、同業者団体やコミュニケーションや規範による社会の統合であった、と考えることができる。つまり、労働と貧困は明示的に言及されていなかったとしても、古典的社会学の隠しテーマの一つといえよう。

1.2 実証研究としての労働・貧困研究

労働と貧困が古典的社会学の隠しテーマといっても、かれらの労働や貧困に対する記述は抽象的で限られたものである。「社会統合」といっても具体的にどう実現すればいいのか、皆目見当もつかない。そこでまずは、貧困層/労働者の実情を具体的に把握しようという機運が生まれる。それがルプレー、ウェッブ夫妻などの西欧での貧困/労働者研究であり (岡本 1973)、シカゴ学派の都市フィールドワークである (新 et al. 1979)。大学教授をはじめとしたミドルクラスの人たちにとっての「よくわからない人たち」の実態を明らかにする、それが社会学の実証研究の最重要課題の一つであり、労働・貧困研究であった、といえよう。

日本では、尾高 (1995)松島 (1978)間 (1964) あたりが、1950~1960年代あたりの労働社会学の草創期の代表的研究として、挙げられることが多いと思う 1。敗戦後の新憲法では生存権を含む基本的人権の尊重が高らかに謳われているが、当時の日本の実情は自由や平等はもちろん、健康で文化的な最低限度の生活すら危ぶまれる場合があり、理想と現実のギャップは大きなものがあった。なぜこのような状況が再生産され続けるのか、どうすれば問題を解決できるのか、といった強烈な問題意識が彼らの研究の背後にあったことは想像に難くない。彼らにとって労働や貧困の研究は、欧米の研究を講釈することではなく、それらを参考にしつつも、日本の労働者の実情を丹念に調べ上げ、なぜ上記のようなギャップが生まれるのかを明らかにすることだった。

このような実証的な労働研究は、当時の文学部的な必ずしも高く評価されなかったという説もある (竹内 2003)。東大や京大の社会学研究室は今も昔も文学部の中にあるが、当時はフィールドワークや統計解析のような実証的な研究は、哲学、歴史学、文学のような多数派の文学部教員には理解されず、あまり高く評価されなかったのではないだろうか。労働社会学の評価はさらに社会主義をめぐる政治的対立も絡んで複雑な様相を呈していたようである (富永 2002; 川合 2003)

河西 (2001) によると 1970年代の社会学は「理論研究ブーム」で、若い社会学者たちは実証的労働研究をやらなくなったと嘆いている。『社会学評論』と『ソシオロジ』(いずれも老舗の社会学雑誌)に掲載された論文を見る限り、1950年代からすでに理論的な論文が大半で (太郎丸, 阪口, and 宮田 2009)、欧米の社会学理論について論じられる研究者が偉い、という雰囲気は、1970年代よりもずっと前からあったと思われるが、河西の肌感覚ではこの頃そういう雰囲気が確立されたということかもしれない。

ここで注意すべきなのは、ブームだったのは独仏語を読みこなす思弁的な研究であり、それは労働や貧困を論じることとは矛盾していない。社会調査が流行らなくなっただけである。外国語を読みこなし、それらが労働や貧困をどうとらえているか論じればブームには乗れる。理論研究ブームは1990年代まで続くが、そのせいで労働や貧困への着目が日本の社会学から失われたわけではなさそうである。1977~2023年度(28~73巻)に『社会学評論』誌に掲載された論文の要約で用いられた単語の数を数えると、最も多いのは、「社会」、次は「性」、「化」といった具合でほとんどの論文が使っていそうな一般的単語ばかりだが、実質的に個別の研究領域を表していそうな語に限ると、「日本」「文化」「家族」「地域」に次いで「労働」が 5位に来る(一般的な語も含めると25位)。貧困はそれに比べると使用される頻度はずっと低いが、10回以上使われた 1705単語(一般的語を含む)中、343位で「ウェーバー/ヴェーバー」と同じ出現頻度である。つまり、「労働」も「貧困」もかなりよく使われており、統計的に有意な使用頻度の変化はない(OLSで推定)。もちろん「哲学の貧困」のように比喩的に用いられる場合もカウントしているし、実質的には「労働/貧困」について論じているがそれらの語を要約で用いていない場合もあるので、誤差はあるが、これでだいたいの傾向を知ることはできよう。

十分な情報を集められていないので推測交じりではあるが、まとめると以下のようになろう。労働・貧困が社会学の重要な研究テーマであり続けたことは戦後の日本社会学でも同じである。ただし、当初は実証研究が重要視されていたのが、次第に欧米の学説の研究への評価が高まっていった、ということであろう。これは後にポストモダニズムと呼ばれる大きな流行へとつながっていく (Susen 2015)。こういった変化の背景には、「大きな物語の終焉」がある (Lyotard 1979)。かつては歴史の進展にともなって、貧困は廃絶され、自由で平等な社会が実現する、といった漠然とした信念があった。それはマルクス主義者であろうと機能主義者であろうと大差はない。しかし、プラハの春、オイルショック、公害問題のようなできことは、次第に歴史という進歩と解放の物語の信憑性を失墜させた。それに伴い、これまで大きな物語の上に培われてきた理論的蓄積に対するラディカルな反省が必要と考えられるようになり、それまで支配的であった機能主義やマルクス主義といった理論的フレームワークが問い直されるようになる。こういった流行の中では、労働や貧困について愚直に記述していくような実証研究は、「時代遅れ」に見えたとしても不思議ではなかろう。

労働・貧困の実証研究の受難は理論ブームだけではなく、労働・貧困研究そのものの重要性を相対化するような動きも生じてくる。マルクス主義では、労働者階級がどのように支配されているのか、という点に注目するのが一般的であるが、そもそも本当に労働や貧困に注目すべきなのか、という点がポストモダニズムの中では疑われるようになっていく (Turner 1990)。マルクス主義では社会の上部構造、とりわけポピュラーカルチャーの重要性が評価されるようになり、これはカルチュラルスタディーズと呼ばれる研究の流れとなっていく。日本の社会学でこういった流れの先駆けとなったのが、井上俊だろう。井上の著書に『遊びの社会学』というのがあるが (井上 1977)、当時の労働を重視するような風潮に対するアンチテーゼとしての意味もあったのかもしれない。

ただ、このような労働・貧困研究の相対化は、その全面否定にまでは至らなかったというべきであろう。カルチュラルスタディーズも階級間の不平等を否定しているわけではなく、むしろそれを前提にして労働者階級の文化を論じる研究が多数派だったように思う(例えば Willis (1977))。この頃流行していたのは、労使関係や労働組合や労働過程の研究ではなく、労働者の好むファッション、TV番組、スポーツの研究である。こういったカルチュラルスタディーズはいわば大きな物語の遺産の上に成立していたと考えるべきであろう。それゆえ、「労働」や「貧困」といった単語の出現頻度には大きな変化がなかったのであろう。

2 21世紀の労働・貧困の社会学

理論研究ブームやポストモダニズムの隆盛によって、貧困や労働への実証研究は一時勢いを失うが、2000年代に入って、格差等への関心が高まることによって、リバイバルする。いわゆるバブル経済の崩壊は1990年ごろなので、10年ほどのタイムラグがあるのは、おそらく世代交代が必要だったからだろう。社会学者が研究テーマや研究方法を変えることはまれな(つまり一生涯同じ方法で同じテーマを研究する人が多い)ので、新しいテーマや方法が広がるには、それらを採用する新しい世代の研究者が育ち、古いテーマや方法を好む研究者が引退する必要がある。それゆえのタイムラグであろう。また、ポスト真実の政治と言われる政治状況も多少の関係があるのかもしれない (McIntyre 2018) 。大国の政治家が、事実関係をロクに確認せずに、支持者にウケそうな思い付きを吹聴したり、フェイクニュースが蔓延するにいたって、客観的事実をきちんと確認することの重要性が再認識された、ということだろう (Salgado 2018)

ただ、21世紀の日本における貧困や労働へのアプローチは、冷戦期のそれとはかなり異なってきている。ポストモダニズムが労働・貧困の実証研究に残した遺産はどのようなものだろうか。

2.1 マルクス主義の衰退

第一に、冷戦期の日本ではマルキストであってもなくても、マルクス主義の社会理論は労働・貧困を扱う上で、共通の言語として機能し、マルクス主義との距離がその論者のイデオロギー的/理論的立ち位置を決めるようなところがあった。例えば、松島 (1973) を読むと内容はマルクス主義的ではないが、疎外、労働組合、労使関係、労働過程といったマルクス主義で重要視されるトピックが扱われている。マルクス主義にどれだけコミットするかは、研究者によって様々だっただろうが、マルクス主義の基本的考え方や用語は、当時の労働・貧困研究者であれば、みんな知っており、研究テーマもその影響下にあったように思う。

しかし、ポスト冷戦期には、マルクス主義が影響力を失い、多様な理論や関心から労働や貧困が扱われるようになっていった 2。私がそのことを実感したのは『搾取される若者たち:バイク便ライダーは見た』 (真大 2006) を読んだ時である。「搾取」はマルクス主義のキー概念の一つで、支配階級(資本主義下では資本家)による剰余価値の奪取を意味する。彼が取材したバイク便ライダーは請負契約で働いているので法的には自営業主であり、マルクス主義的には労働者というよりも小資本家である。マルクス主義的には搾取されるのは労働者であって資本家ではない。マルクス主義者を納得させるためには、ひいき目に見てもかなりアクロバティックな議論が必要なように思えるのだが、真大 (2006) はそういった問題を無視し、漠然と若者が危険で身体的苦痛を伴い、不安定な仕事を強いられている状況を指して、「搾取」と呼んでいる。搾取概念の脱マルクス主義化が起きているのであるが、それが批判されたという話も特に聞かない。要するにマルクス主義者の批判やマルクス主義の言葉遣いを無視しても労働・貧困を研究できる時代になった、ということである。

本巻収録の論文もそういった大きな物語が終わった後の研究成果である。

2.2 多様化

第二に、冷戦期は「労働者」とか「人間」といったどこか抽象的な概念がキーワードとなり、それらの内部での多様性にはあまり目が向けられないことがあった。これは対自的階級としての労働者、社会を変革する革命的な主体、といったイメージと深く関わっていると思われる。もちろん実証研究で具体的な労働者を扱う場合、いろいろなタイプの労働者がいるのは自明であり(例えば、ホワイトカラーとブルーカラー、社内工と社外工、金堀大工と運搬夫)、それらの違いは記述されるのであるが、そのような様々な差異が理論化されることは稀であった。

それがポスト冷戦期には、女性と男性、LGBTQ+、若者と高齢者、移民、エスニック・マイノリティ、非正規労働者と正規労働者、といった具合に、労働者の内部の多様性が注目されるようになった。また、労働の多様性にも目が向けられるようになる。「生産」に従事していないホワイトカラーの業務が「労働」なのか(あるいは剰余価値を生み出しているのか)、という問題はマルクス主義では戦前からの古典的トピックであるが、家事労働、ケア労働、感情労働、美的労働、福祉的労働といった具合に、労働の様ざまなタイプや側面にスポットライトが当たるようになる。こういった変化の背景には、アイデンティティ・ポリティクスと呼ばれるような認識の変化がある。つまり、大文字の「労働者」といった主体を仮定し、その内部の多様性を無視することは、その内部の少数派の利害や意見、生活の抑圧につながるのであり、「解放」の主体であったはずのものが、いつのまにかその内部で抑圧や差別を行っている場合があることへの批判と反省にもとづいている。こういった多様化の結果、労働研究は様々な分野に分化・拡散していく。労働について研究していても、それらはジェンダー論、移民研究、家族社会学、文化社会学といった下位分野の研究とみなされるようになる。この岩波講座でも、多くの労働研究が、他の巻に進出している。

さらに焦点を当てるトピックも多様化していく。かつてはマルクス主義的な関心(労使関係、労組、日本的雇用、等)が中心的だったのが、近年の政策的課題に応じて、ワークライフバランス、賃金格差、雇用の安定性といったテーマに焦点が当たるようになっていく。

2.3 「私たち」の問題

第三に、社会学者と労働・貧困との関係に変容が生じる。 労働・貧困研究は、ミドルクラスに属する社会学者が、労働者階級の実態を記述する、という構図のもとに成り立っていた。その背景には階級間の分断とディスコミュニケーションがあり、それを架橋する役割を社会学者が果たそうとしていた、と見ることもできよう。その過程でフィールドワーカーである社会学者と労働者のあいだに友情が芽生える、といった美談が語られることもあった。端的に言って、労働・貧困研究とは、よくわからない「他者」から理解可能な同じ社会の一員へと認識の枠組みを変更する試みであったと言える。穏健な改革を目指すにせよ、暴力革命を志すにせよ、労働者の実態は知る必要がある。しかし、こういった社会学的啓蒙は、ミドルクラスが一方的に労働者を観察し理解するだけであり、その逆はない。このような非対称性は批判にさらされるようになる。社会が進歩していけば(社会主義であれ近代化であれ)、こういった階級的不平等は解消するはずだったので、非対称性も社会の進歩に役立つ限りで正当化可能であったろうが、そのような大きな物語への期待が遠のくにつれて、単に労働者の文化や生活をネタに本を売る社会学には意味がない、といった批判や反省が生まれてくる。つまり、社会学者はどういう立場で何のために研究しているのか、という、いわゆる立場性の問題が多くのフィールドワーカーに自覚されるようになる。

また、階級構造そのものが変容してくる。戦後の日本の労働社会学で好んで取り上げられたのは、工場や炭鉱で働くブルーカラーであるが、炭鉱夫はほとんどいなくなり、工場労働者もオフショアリングによって激減した。いわゆる脱工業化である。代わりに販売・サービス職に従事する労働者が増えていき、労働組合の組織率も右肩下がりで低下を続けている。つまり、20世紀の労働社会学が好んで取り上げていた研究対象が日本国内では激減したのである。ミドルクラスにも非正規雇用が広がり、専門職であっても不安定な雇用形態で働く人が増えていく。社会学者自身やその家族・友人も例外ではない。恵まれた階級に属する社会学者が恵まれない労働者を研究するという構図がゆらいでくる。もちろん統計的に見れば、階級間の平均賃金の格差は21世紀に入っても存在している。しかし、ミドルクラスであっても本質的には労働者と同じような問題に直面しているという認識が広がる。両者を区別して労働者だけを研究することの限界が認識され、ミドルクラスも含めた働くすべての人が研究対象となっていく。

2.3.1 統計的アプローチ

3 本書掲載の論文

3.1 労働

安里の章では、かつて主婦が担っていたようなケア労働が、東アジアでどのように賃労働者(家政婦やヘルパー、等々)によって担われるようになってきているのか、概観されている。ケア労働は長く等閑視されてきたが、フェミニズムによって家事労働が重要な研究テーマと認められるにいたって、女性の社会的地位の低さの原因を解明する突破口の一つとみなされるようになっていく。東アジアでは超高齢化が進行し、移民をはじめとしたケア労働者への需要が高まり続けていることも、ケア労働への関心の高まりの一因であろう。安里の研究のユニークな点は、国際的な視点と福祉レジームへの着目にある。「家父長制」や「ネオリベ」といった抽象的な存在を諸悪の根源としてあげつらうのではなく、移民政策や労働政策がケア労働者の国際的な移動や規模とを関連付けながら論じている点が興味深い。

阿部の章では、どうして若者がバイク便ライダーという危険で不安定な仕事に引き付けられていくのかが論じられている。危険で不安定な仕事に従事する人たちは昔からいるが、バイク便ライダーはバイク好きの若者が趣味を仕事にするために就く場合が多い、というのが現代的な点である。このように「好きなこと」を仕事にするという価値観は、脱物質主義、自己表出主義の高まりという多くの脱工業社会が経験した価値観の変化の表れと考えられるが、阿部の議論のおもしろいところは、「好きなこと」を仕事にしていたはずが、バイク便ライダーをやるうちに、バイクの好みが変わってくる(小型で、早く配達できるバイクがカッコイイ)という指摘である。いわゆる「意図せざる結果」の一種であるが、アイロニーが効いている。

3.2 貧困

4 まとめ

総じて、大きな物語の終焉によって多様性が増大したが、共通の言語を失って、バラバラになったのが現代の労働・貧困研究、みたいな話にしようかな、と思っています。 まだ準備中(特に昔の労働社会学の本を読んでます)ですし、丸山先生とのすり合わせも不十分なので、修正はすると思います。

21世紀に入ってからの労働社会学とは、よく言えばマルクス主義から「解放」されたが、悪く言えば中心を失って迷走しているようにも思える。

労働社会学年報を見ると、マルクス主義の影を見出すことは容易だが、多くの論文は教条的マルクス主義とは程遠く、調査結果を報告するようなタイプの研究が多い。こういった傾向は学会が設立された1988年から明白で、研究集会や学会大会に合わせて参加者が工場見学をしていたという記述からも、実証研究を重視していたことがうかがえる。質問紙調査も多く、せいぜいクロス集計レベルの分析ではあるが、事実の記述に対する強い志向がうかがえる。

文献

Durkheim, Emile. 1893. De La Division Travail Social. Paris: Les Presses universitaires de France.
Giddens, Anthony. 2001. Sociology 4th Edition. Polity Press.
Lyotard, Jean-François. 1979. La Condition Postmoderne: Rapport Sur Le Savoir. Éditions de Minuit.
McIntyre, Lee. 2018. Post Truth. Massachusetts: MIT Press.
Mead, George H. 1934. Mind, Self, and Society : From the Standpoint of a Social Behaviorist. University of Chicago Press.
Parsons, Talcott. 1951. The Social System. New York: Free Press.
Salgado, Susana. 2018. “Online Media Impact on Politics. Views on Post-Truth Politics and Postpostmodernism.” International Journal of Media and Cultural Politics 14(3):317–31.
Susen, Simon. 2015. The “Postmodern Turn” in the Social Sciences. Hampshire: Palgrave.
Turner, Graeme. 1990. British Cultural Studies : An Introduction. Boston: Unwin Hyman.
Willis, Paul E. 1977. Learning to Labour. Ashgate.
井上俊. 1977. 遊びの社会学. 京都: 世界思想社.
厚東洋輔. 1980. “主意主義的行為理論.” Pp. 70–79 in 基礎社会学 第1巻 社会的行為, edited by 三郎, 勉, 健一, and 民人. 東洋経済新報社.
厚東洋輔. 2020. 「社会的なもの」の歴史 : 社会学の興亡1848-2000. 東京: 東京大学出版会.
友枝敏雄, 浜日出夫, and 山田真茂留. 2023. 社会学の力 : 最重要概念・命題集 = Sociology : Concepts and Propositions. 改訂版. 東京: 有斐閣.
太郎丸博., 阪口祐介, and 宮田尚子. 2009. “ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド1952–2008.”
富永健一. 2002. 戦後日本の社会学: 一つの同時代学史. 東京大学出版会.
尾高邦雄. 1995. 尾高邦雄選集1 職業社会学. 東京: 夢窓庵.
岡本秀昭. 1973. “産業社会学の発展.” Pp. 201–40 in 講座社会学6 産業社会学, edited by 松島静雄. 東京大学出版会.
川合隆男. 2003. 近代日本社会学の展開 : 学問運動としての社会学の制度化. 東京: 恒星社厚生閣.
新睦人, 大村英昭, 宝月誠., 中野正大, and 中野秀一郎. 1979. 社会学のあゆみ. 東京: 有斐閣.
松島静雄. 1973. “産業社会学の課題と構成.” Pp. 1–12 in 講座社会学6 産業社会学, 社会学講座, edited by 松島静雄. 東京: 東京大学出版会.
松島静雄. 1978. 友子の社会学的考察 : 鉱山労働者の営む共同生活体分析. 東京: 御茶の水書房.
河西宏祐. 2001. 日本の労働社会学. 東京: 早稲田大学出版部.
真大. 2006. 搾取される若者たち: バイク便ライダーは見た! 集英社新書.
竹内洋. 2003. 教養主義の没落 : 変わりゆくエリート学生文化. 東京: 中央公論新社.
長谷川公一, 浜日出夫, 藤村正之, and 町村敬志. 2019. 社会学. 新版. 東京: 有斐閣.
間宏. 1964. 日本労務管理史研究 : 経営家族主義の形成と展開. 東京: ダイヤモンド社.

  1. 1970年以降の文献も参照しているが、初出は1950~1960年代あたり。↩︎

  2. 『社会学評論』と『ソシオロジ』に掲載された論文の要約を見ると、1980年ごろには「マルクス」という語は、一要約あたり 0.1 回 以上出現していたのが、その後急速に減少し、2000年ごろには 0.01 回ほど(つまり1980年ごろの 10分の1 )にまで減少している。↩︎