https://rpubs.com/koyobib/bm10 の続き
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library(openxlsx)
library(stringr)
library(stringdist)
library(dplyr)
library(RMeCab)
library(igraph)
library(rvest)
library(gt)
library(gtExtras)
library(openxlsx)
library(purrr)
DOIは手作業で収集した
list <- read.xlsx("../Lists/RJEM_2006.xlsx", sheet = 1)
# 手作業なので重複を確認
# list %>% group_by(DOI) %>% filter(n()>1)
head(list)
## Journal Year Volume Number Page DOI Class Incld
## 1 RJEM 2022 47 1 1 nasemjournal.47.0_1 論文 収集
## 2 RJEM 2022 47 1 13 nasemjournal.47.0_13 論文 収集
## 3 RJEM 2022 47 1 25 nasemjournal.47.0_25 論文 収集
## 4 RJEM 2022 47 1 35 nasemjournal.47.0_35 論文 収集
## 5 RJEM 2022 47 1 47 nasemjournal.47.0_47 論文 収集
## 6 RJEM 2021 46 1 1 nasemjournal.46.0_1 論文 収集
## JYVNP
## 1 RJEM_2022_47_1
## 2 RJEM_2022_47_13
## 3 RJEM_2022_47_25
## 4 RJEM_2022_47_35
## 5 RJEM_2022_47_47
## 6 RJEM_2021_46_1
doi <- list %>% dplyr::filter(Incld != "除外")
head(doi)
## Journal Year Volume Number Page DOI Class Incld
## 1 RJEM 2022 47 1 1 nasemjournal.47.0_1 論文 収集
## 2 RJEM 2022 47 1 13 nasemjournal.47.0_13 論文 収集
## 3 RJEM 2022 47 1 25 nasemjournal.47.0_25 論文 収集
## 4 RJEM 2022 47 1 35 nasemjournal.47.0_35 論文 収集
## 5 RJEM 2022 47 1 47 nasemjournal.47.0_47 論文 収集
## 6 RJEM 2021 46 1 1 nasemjournal.46.0_1 論文 収集
## JYVNP
## 1 RJEM_2022_47_1
## 2 RJEM_2022_47_13
## 3 RJEM_2022_47_25
## 4 RJEM_2022_47_35
## 5 RJEM_2022_47_47
## 6 RJEM_2021_46_1
doi2 <- doi$DOI
# doi2 <- c("nasemjournal.47.0_1") # テスト用
for (i in doi2){
url <- paste("https://doi.org/10.18971/", i, sep = "")
html <- read_html(url)
name <- html %>%
html_elements("meta") %>%
html_attr("name")
name <- (data.frame(name))
text <- html %>%
html_elements("meta") %>%
html_attr("content")
text <- (data.frame(text))
name.text <- dplyr::bind_cols(name, text)
abstract <- name.text %>% dplyr::filter(name == "abstract")
abstract$doi <- i
assign(i, abstract) # データ化
# csvで保存
setwd("../RJEM")
csvname <- paste(i, ".csv", sep = "")
write.csv(abstract, csvname)
}
ここはfor文を使うよりも,用意したリストから読み出した方が早い気がする。
abst1 <- rbind(nasemjournal.47.0_1, nasemjournal.47.0_13, nasemjournal.47.0_25, nasemjournal.47.0_35, nasemjournal.47.0_47, nasemjournal.46.0_1, nasemjournal.46.0_13, nasemjournal.46.0_25, nasemjournal.46.0_37, nasemjournal.46.0_49, nasemjournal.46.0_61, nasemjournal.46.0_73, nasemjournal.46.0_85, nasemjournal.45.0_1, nasemjournal.45.0_13, nasemjournal.45.0_25, nasemjournal.45.0_37, nasemjournal.45.0_49, nasemjournal.45.0_61, nasemjournal.45.0_73, nasemjournal.45.0_85, nasemjournal.45.0_97, nasemjournal.44.0_1, nasemjournal.44.0_13, nasemjournal.44.0_25, nasemjournal.44.0_37, nasemjournal.44.0_49, nasemjournal.44.0_61, nasemjournal.44.0_73, nasemjournal.44.0_85, nasemjournal.44.0_97, nasemjournal.43.0_1, nasemjournal.43.0_13, nasemjournal.43.0_25, nasemjournal.43.0_37, nasemjournal.43.0_49, nasemjournal.43.0_61, nasemjournal.43.0_71, nasemjournal.43.0_83, nasemjournal.43.0_95, nasemjournal.42.0_1, nasemjournal.42.0_13, nasemjournal.42.0_23, nasemjournal.42.0_35, nasemjournal.41.0_1, nasemjournal.41.0_13, nasemjournal.41.0_25, nasemjournal.41.0_37, nasemjournal.41.0_49, nasemjournal.41.0_61, nasemjournal.40.0_1, nasemjournal.40.0_15, nasemjournal.40.0_27, nasemjournal.40.0_39, nasemjournal.40.0_51, nasemjournal.40.0_63, nasemjournal.40.0_75, nasemjournal.40.0_85, nasemjournal.39.0_1, nasemjournal.39.0_13, nasemjournal.39.0_25, nasemjournal.39.0_37, nasemjournal.39.0_49, nasemjournal.39.0_59, nasemjournal.39.0_71, nasemjournal.39.0_83, nasemjournal.38.0_1, nasemjournal.38.0_13, nasemjournal.38.0_25, nasemjournal.38.0_37, nasemjournal.38.0_49, nasemjournal.38.0_61, nasemjournal.38.0_73, nasemjournal.38.0_85, nasemjournal.38.0_97, nasemjournal.38.0_109, nasemjournal.37.0_1, nasemjournal.37.0_13, nasemjournal.37.0_25, nasemjournal.37.0_35, nasemjournal.37.0_47, nasemjournal.37.0_59, nasemjournal.37.0_71, nasemjournal.37.0_83, nasemjournal.36.0_1, nasemjournal.36.0_13, nasemjournal.36.0_25, nasemjournal.36.0_39, nasemjournal.36.0_51, nasemjournal.36.0_61, nasemjournal.36.0_73, nasemjournal.36.0_85, nasemjournal.36.0_97, nasemjournal.36.0_109, nasemjournal.36.0_121, nasemjournal.36.0_133, nasemjournal.35.0_1, nasemjournal.35.0_13, nasemjournal.35.0_25, nasemjournal.35.0_35, nasemjournal.35.0_47, nasemjournal.35.0_59, nasemjournal.35.0_71, nasemjournal.35.0_83, nasemjournal.35.0_93, nasemjournal.35.0_105, nasemjournal.35.0_117, nasemjournal.34.0_1, nasemjournal.34.0_13, nasemjournal.34.0_25, nasemjournal.34.0_37, nasemjournal.34.0_49, nasemjournal.34.0_61, nasemjournal.34.0_73, nasemjournal.34.0_85, nasemjournal.33.0_1, nasemjournal.33.0_13, nasemjournal.33.0_25, nasemjournal.33.0_37, nasemjournal.33.0_49, nasemjournal.33.0_61, nasemjournal.33.0_73, nasemjournal.33.0_85, nasemjournal.33.0_97, nasemjournal.33.0_109, nasemjournal.33.0_121, nasemjournal.33.0_133, nasemjournal.33.0_145, nasemjournal.33.0_157, nasemjournal.33.0_169, nasemjournal.33.0_181, nasemjournal.32.0_1, nasemjournal.32.0_13, nasemjournal.32.0_25, nasemjournal.32.0_37, nasemjournal.32.0_49, nasemjournal.32.0_61, nasemjournal.32.0_73, nasemjournal.32.0_85, nasemjournal.32.0_95, nasemjournal.32.0_107, nasemjournal.31.0_1, nasemjournal.31.0_13, nasemjournal.31.0_25, nasemjournal.31.0_37, nasemjournal.31.0_49, nasemjournal.31.0_61, nasemjournal.31.0_73, nasemjournal.31.0_85, nasemjournal.31.0_97, nasemjournal.31.0_109, nasemjournal.31.0_121, nasemjournal.30.0_1, nasemjournal.30.0_13, nasemjournal.30.0_23, nasemjournal.30.0_35, nasemjournal.30.0_47, nasemjournal.30.0_59, nasemjournal.30.0_71, nasemjournal.30.0_83, nasemjournal.30.0_95, nasemjournal.30.0_107, nasemjournal.30.0_119, nasemjournal.29.0_1, nasemjournal.29.0_13, nasemjournal.29.0_25, nasemjournal.29.0_37, nasemjournal.29.0_49, nasemjournal.29.0_61, nasemjournal.29.0_73, nasemjournal.29.0_85, nasemjournal.29.0_97)
#abst2 <- rbind()
#abst3 <- rbind()
#abst3 <- rbind()
abst <- rbind(abst1)
abst <- abst[c(3,2)]
colnames(abst) <- c("DOI", "Abst")
head(abst)
## DOI
## 1 nasemjournal.47.0_1
## 2 nasemjournal.47.0_13
## 3 nasemjournal.47.0_25
## 4 nasemjournal.47.0_35
## 5 nasemjournal.47.0_47
## 6 nasemjournal.46.0_1
## Abst
## 1 本研究は,問題解決学習における子ども同士の議論に着目し,社会を創造する意志に開かれた主体的な価値調整の過程の様相と成立要因を解明することを目的として,逐語記録にもとづく授業分析を行った。 分析対象は,「対立と合意」「効率と公正」の見方や考え方を養うことをねらいとした,中学校3年社会科公民の実践である。本実践は,地域の幹線道路拡張と歩道橋設置を教材としている。分節分けにより授業の展開過程を整理した上で,累積相対度数グラフにより議論に出現する「効率」と「公正」の価値の変遷を可視化し,発言解釈により価値調整の具体と要因を考察した。 分析から,本時の議論における,効率→公正→相互の関連→公正→相互の関連→公正という価値の変遷が明らかになった。生徒は,直接に見聞きした当事者の声を代弁して,社会的決定における重要な価値を議論に呼び戻し,当事者の心情や価値の重みにも寄り添った価値調整を行っていることが示された。さらに,社会的意思決定での価値の代弁は,教室という擬似的な社会空間であっても,どの価値を考慮すべきかについての意思の表明であると同時に,他者の利害を左右する責任の分有である。この点で,本実践での議論はよりよい社会を創造しようとする意志に開かれていると考えられる。 以上から,問題解決学習における価値調整は,当事者の共感的理解という要因によって,価値の重みの問い直しを伴い,社会創造の意志に開かれることが示された。
## 2 本稿の目的は,国際バカロレア(IB)教育の哲学的な基盤を形成したとされるピーターソンの評価観を,彼が考える教育の目標とカリキュラムとの関係に注目して検討することである。彼は1950年代後半にイギリスのシックス・フォーム改革に携わっていた際に批判の対象としていた「試験(examination)」を,1960年代後半以降,IB のカリキュラム開発時には教育の目標を具体化する手段として記述した。この転換に注目し,彼の教育の目標の内容及び教育の目標と「試験」との関係を,著作をもとに分析する。 教育に携わる過程の中で,ピーターソンは「自身と自身が生きる社会を理解し,社会と関わり,自身が生きる世界を楽しむ」との教育の目標を一貫して掲げていた。この教育の目標から導き出される彼の評価観は,「自己認識の機会」としての評価である。しかし当初,彼が用いた「試験」の語句は,この評価観を 十分に表すことができなかった。彼はIB のカリキュラム開発に携わる中で「評価(assessment)」の語句を獲得し,教育の目標と合致する評価観をカリキュラムに明示し,制度的に構築していった。 評価のハイステイクス化が問題となる中,問われるのは実際に教育に携わる教師と学ぶ生徒の評価観である。教育の目標に基づき,生徒の学習と教師の指導,評価のしくみを構築したIB 教育において,教師や生徒がいかに評価を捉えているのかについての検討が,よりよい評価実践のための今後の重要な課題となるだろう。
## 3 本論考の目的は,ボルノウによって示された「練習」の意義を現象学的視座から再検討することによって,練習の本来的意義を明らかにすることであった。この目的の達成のためにまず,ボルノウが人間学的な視座から見た『練習の精神』のねらいを整理することによってボルノウが明らかにした「練習」の教育的意義を確認し,さらに,それに対する先行研究を概観することによって『練習の精神』における残された課題を確認した。次に,ボルノウの「人間学的に見た教育学」における現象学,とりわけフッサール現象学における発生的現象学の位置づけを確認し,この発生的現象学の視座から捉えなおした「練習」の教育的意義を検討した。フッサール現象学の発生的分析では,「脱構築」(Abbau)と呼ばれる意識分析の方法が用いられ,これによって対象意味の基づけ構造のうち,上層を遮断した場合にも下層が成り立つかどうかが解明される。このような発生的分析としての「練習」は自己の自己自身との対話のような構造をもっている。ここにおいて「練習」には自己が練習内容と「対話」しながら,その「やり方」(Bewegungsweise)の自在化の極みを無限に追究するという意味での脱目的的な内在目的論的価値が存在することが明らかにされ,そこにこそボルノウの言う「内面の自由」に至るための教育が存在していることが確認された。
## 4 本間良助は,新図画教育会に属して山本鼎の自由画教育を批判し,基礎理論によりつつ子ども自身が試行錯誤してその知識技能を身につけていく「創作主義図画教育」を提唱した人物である。本研究では,本間の図画教育に関する思想を基に,どのような裁縫教育論を構想したのかを明らかにした。そして,その裁縫教育論が裁縫教育改革の中で,芸術との関連からその意義を問い直す系譜に属することを指摘した。 本間の「創造主義裁縫教育」論の特色は3つある。1つ目は,産業国家を建設する技能として,他の工作と裁縫を同格のものとして捉えたことである。裁縫を家庭内の私的な工作としてではなく,公的な工作として捉え直した。2つ目は,和裁・洋裁の区別なく,形象教育の1つとして裁縫を捉えたことである。 形象教育とは,図画や裁縫,習字など形象を扱う教科すべてを包摂した教育である。そして3つ目は,色彩論を重視した裁縫教育を提案したことである。色彩論を重視することで,子ども自身が図案作成することの可能性も示した。本間の裁縫教育論は,ナショナリスティックな思想を土台としつつも,裁縫という分野に囚われずものづくり一般として構想されたことにより,当時の実践家の思想とは異なる裁縫教育の形を示していた。
## 5 本研究の目的は,ペーターゼンにおける自律的教育科学の構想の特質と限界を明らかにすることにある。 その際,彼の教育学的事実研究と学術的な教師教育への取組に着目し,教育学を科学として自律させることに何が期待されていたのかに論究する。本研究では,第一にペーターゼンにおける教育学の科学的性格を明らかにし,第二に教育学的事実研究と学校改革との関係を検討した上で,第三に教育学的事実研究を手がかりとした学術的な教師教育への取組を論じる。 本研究を通して,ペーターゼンの教育科学の構想の特質として,①教育学を精神科学的教育学からも実証主義的教育学からも距離を取った現実科学として描いたこと,②教育学的事実研究を通して学術的な教師教育と結びつけたこと,③将来の実践にアプローチすることで「自由で一般的な国民学校」という学校改革の理念を現実化する手がかりとしていたこと,が明らかとなった。他方で,その限界として,存在するものから存在すべきものを導き出すような循環性を有する思考枠組みを乗り越えられないことを指摘した。 ペーターゼンが教師教育も含んだ教育学の射程で学校改革にアプローチしていたことから,学校改革を論じる論点として,学としての教育学のあり方が問われることの重要性に言及した。
## 6 本稿は,ロイス・サドラーによる形成的アセスメント論を検討するものである。近年,評価活動を通して,教師と学習者が協働的に学習を改善していく形成的アセスメントの考え方が衆目を集めている。こうした考え方の理論的ルーツの一つは,サドラーによる形成的アセスメント論(1989年)にあるとされる。しかし,氏は,形成的アセスメントの考え方が世界的に広がるにつれて,昨今の形成的アセスメントの論調に対してラディカルな批判を展開し始めている。そこで本稿は,こうしたパラドキシカルな状況に鑑みて,(1) 氏の形成的アセスメント論の背景や考え方の特質はなんであったか,(2) 形成的アセスメント論が国際的に展開する中で,氏の所論はどう受容されたか,(3) 昨今の形成的アセスメント論に対して,氏はどんな論理で批判を行い,そこから見えてくる氏の立場や主張の根幹は何かについて明らかにすることを目的とした。氏の所論は,複雑で高次な学習の文脈において,学習者の評価エキスパティーズをどう育成できるかに主眼が向けられるものであり,このような能力は,熟達者の導きの下で行われる真正な評価経験に従事していくという,ある種徒弟制的で帰納的な過程によって育まれると主張するものであった。このような氏の所論は,実践共同体において学習者の鑑識眼を錬磨することを主軸とするアプローチによって,形成的アセスメント論を切り拓こうとする試みとして捉えることができた。
rjem.abst <- dplyr::inner_join(doi, abst, by = "DOI")
head(rjem.abst)
## Journal Year Volume Number Page DOI Class Incld
## 1 RJEM 2022 47 1 1 nasemjournal.47.0_1 論文 収集
## 2 RJEM 2022 47 1 13 nasemjournal.47.0_13 論文 収集
## 3 RJEM 2022 47 1 25 nasemjournal.47.0_25 論文 収集
## 4 RJEM 2022 47 1 35 nasemjournal.47.0_35 論文 収集
## 5 RJEM 2022 47 1 47 nasemjournal.47.0_47 論文 収集
## 6 RJEM 2021 46 1 1 nasemjournal.46.0_1 論文 収集
## JYVNP
## 1 RJEM_2022_47_1
## 2 RJEM_2022_47_13
## 3 RJEM_2022_47_25
## 4 RJEM_2022_47_35
## 5 RJEM_2022_47_47
## 6 RJEM_2021_46_1
## Abst
## 1 本研究は,問題解決学習における子ども同士の議論に着目し,社会を創造する意志に開かれた主体的な価値調整の過程の様相と成立要因を解明することを目的として,逐語記録にもとづく授業分析を行った。 分析対象は,「対立と合意」「効率と公正」の見方や考え方を養うことをねらいとした,中学校3年社会科公民の実践である。本実践は,地域の幹線道路拡張と歩道橋設置を教材としている。分節分けにより授業の展開過程を整理した上で,累積相対度数グラフにより議論に出現する「効率」と「公正」の価値の変遷を可視化し,発言解釈により価値調整の具体と要因を考察した。 分析から,本時の議論における,効率→公正→相互の関連→公正→相互の関連→公正という価値の変遷が明らかになった。生徒は,直接に見聞きした当事者の声を代弁して,社会的決定における重要な価値を議論に呼び戻し,当事者の心情や価値の重みにも寄り添った価値調整を行っていることが示された。さらに,社会的意思決定での価値の代弁は,教室という擬似的な社会空間であっても,どの価値を考慮すべきかについての意思の表明であると同時に,他者の利害を左右する責任の分有である。この点で,本実践での議論はよりよい社会を創造しようとする意志に開かれていると考えられる。 以上から,問題解決学習における価値調整は,当事者の共感的理解という要因によって,価値の重みの問い直しを伴い,社会創造の意志に開かれることが示された。
## 2 本稿の目的は,国際バカロレア(IB)教育の哲学的な基盤を形成したとされるピーターソンの評価観を,彼が考える教育の目標とカリキュラムとの関係に注目して検討することである。彼は1950年代後半にイギリスのシックス・フォーム改革に携わっていた際に批判の対象としていた「試験(examination)」を,1960年代後半以降,IB のカリキュラム開発時には教育の目標を具体化する手段として記述した。この転換に注目し,彼の教育の目標の内容及び教育の目標と「試験」との関係を,著作をもとに分析する。 教育に携わる過程の中で,ピーターソンは「自身と自身が生きる社会を理解し,社会と関わり,自身が生きる世界を楽しむ」との教育の目標を一貫して掲げていた。この教育の目標から導き出される彼の評価観は,「自己認識の機会」としての評価である。しかし当初,彼が用いた「試験」の語句は,この評価観を 十分に表すことができなかった。彼はIB のカリキュラム開発に携わる中で「評価(assessment)」の語句を獲得し,教育の目標と合致する評価観をカリキュラムに明示し,制度的に構築していった。 評価のハイステイクス化が問題となる中,問われるのは実際に教育に携わる教師と学ぶ生徒の評価観である。教育の目標に基づき,生徒の学習と教師の指導,評価のしくみを構築したIB 教育において,教師や生徒がいかに評価を捉えているのかについての検討が,よりよい評価実践のための今後の重要な課題となるだろう。
## 3 本論考の目的は,ボルノウによって示された「練習」の意義を現象学的視座から再検討することによって,練習の本来的意義を明らかにすることであった。この目的の達成のためにまず,ボルノウが人間学的な視座から見た『練習の精神』のねらいを整理することによってボルノウが明らかにした「練習」の教育的意義を確認し,さらに,それに対する先行研究を概観することによって『練習の精神』における残された課題を確認した。次に,ボルノウの「人間学的に見た教育学」における現象学,とりわけフッサール現象学における発生的現象学の位置づけを確認し,この発生的現象学の視座から捉えなおした「練習」の教育的意義を検討した。フッサール現象学の発生的分析では,「脱構築」(Abbau)と呼ばれる意識分析の方法が用いられ,これによって対象意味の基づけ構造のうち,上層を遮断した場合にも下層が成り立つかどうかが解明される。このような発生的分析としての「練習」は自己の自己自身との対話のような構造をもっている。ここにおいて「練習」には自己が練習内容と「対話」しながら,その「やり方」(Bewegungsweise)の自在化の極みを無限に追究するという意味での脱目的的な内在目的論的価値が存在することが明らかにされ,そこにこそボルノウの言う「内面の自由」に至るための教育が存在していることが確認された。
## 4 本間良助は,新図画教育会に属して山本鼎の自由画教育を批判し,基礎理論によりつつ子ども自身が試行錯誤してその知識技能を身につけていく「創作主義図画教育」を提唱した人物である。本研究では,本間の図画教育に関する思想を基に,どのような裁縫教育論を構想したのかを明らかにした。そして,その裁縫教育論が裁縫教育改革の中で,芸術との関連からその意義を問い直す系譜に属することを指摘した。 本間の「創造主義裁縫教育」論の特色は3つある。1つ目は,産業国家を建設する技能として,他の工作と裁縫を同格のものとして捉えたことである。裁縫を家庭内の私的な工作としてではなく,公的な工作として捉え直した。2つ目は,和裁・洋裁の区別なく,形象教育の1つとして裁縫を捉えたことである。 形象教育とは,図画や裁縫,習字など形象を扱う教科すべてを包摂した教育である。そして3つ目は,色彩論を重視した裁縫教育を提案したことである。色彩論を重視することで,子ども自身が図案作成することの可能性も示した。本間の裁縫教育論は,ナショナリスティックな思想を土台としつつも,裁縫という分野に囚われずものづくり一般として構想されたことにより,当時の実践家の思想とは異なる裁縫教育の形を示していた。
## 5 本研究の目的は,ペーターゼンにおける自律的教育科学の構想の特質と限界を明らかにすることにある。 その際,彼の教育学的事実研究と学術的な教師教育への取組に着目し,教育学を科学として自律させることに何が期待されていたのかに論究する。本研究では,第一にペーターゼンにおける教育学の科学的性格を明らかにし,第二に教育学的事実研究と学校改革との関係を検討した上で,第三に教育学的事実研究を手がかりとした学術的な教師教育への取組を論じる。 本研究を通して,ペーターゼンの教育科学の構想の特質として,①教育学を精神科学的教育学からも実証主義的教育学からも距離を取った現実科学として描いたこと,②教育学的事実研究を通して学術的な教師教育と結びつけたこと,③将来の実践にアプローチすることで「自由で一般的な国民学校」という学校改革の理念を現実化する手がかりとしていたこと,が明らかとなった。他方で,その限界として,存在するものから存在すべきものを導き出すような循環性を有する思考枠組みを乗り越えられないことを指摘した。 ペーターゼンが教師教育も含んだ教育学の射程で学校改革にアプローチしていたことから,学校改革を論じる論点として,学としての教育学のあり方が問われることの重要性に言及した。
## 6 本稿は,ロイス・サドラーによる形成的アセスメント論を検討するものである。近年,評価活動を通して,教師と学習者が協働的に学習を改善していく形成的アセスメントの考え方が衆目を集めている。こうした考え方の理論的ルーツの一つは,サドラーによる形成的アセスメント論(1989年)にあるとされる。しかし,氏は,形成的アセスメントの考え方が世界的に広がるにつれて,昨今の形成的アセスメントの論調に対してラディカルな批判を展開し始めている。そこで本稿は,こうしたパラドキシカルな状況に鑑みて,(1) 氏の形成的アセスメント論の背景や考え方の特質はなんであったか,(2) 形成的アセスメント論が国際的に展開する中で,氏の所論はどう受容されたか,(3) 昨今の形成的アセスメント論に対して,氏はどんな論理で批判を行い,そこから見えてくる氏の立場や主張の根幹は何かについて明らかにすることを目的とした。氏の所論は,複雑で高次な学習の文脈において,学習者の評価エキスパティーズをどう育成できるかに主眼が向けられるものであり,このような能力は,熟達者の導きの下で行われる真正な評価経験に従事していくという,ある種徒弟制的で帰納的な過程によって育まれると主張するものであった。このような氏の所論は,実践共同体において学習者の鑑識眼を錬磨することを主軸とするアプローチによって,形成的アセスメント論を切り拓こうとする試みとして捉えることができた。
setwd("../Data")
write.csv(rjem.abst, "RJEM_ABST.csv")
この論文誌は処理時間は短く済む(こんなに論文少なくて大丈夫か心配だが)
## user system elapsed
## 4.218 0.638 163.710